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京都には、17のユネスコ世界文化遺産があります。これだけの数の世界文化遺産が集中している点は、京都の特色の一つです。特別拝観やライトアップなどの行事も開催しています。
創立年代は明らかではありませんが、平安京遷都以来、国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を受け、神社建築様式流造の本殿、権殿(共に国宝)、その他34棟(重文)が並び建っています。神秘的で清浄な雰囲気を漂わせています。
平安京遷都以前からある京都最古の神社の一つです。賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)を祀り、干支の守護神を祀る言社を始め、53棟の重要文化財の社殿群とともに典雅な王朝文化を偲ばせます。
平安京造営に際し国家鎮護のために建設されました。空海が真言宗寺院とし、講堂には我が国現存最古の密教彫像の一群があります。五重塔(国宝)の高さ55mは日本最高です。
778年に開創しました。四季折々の美しさを背景にした舞台造りの本堂(国宝)は断崖の上にせり出し、「清水の舞台」として有名です。市街地の眺望も素晴らしく、境内には、奥の院、阿弥陀堂、三重塔など15棟の重要文化財があります。
788年、都の鬼門にあたる比叡山に最澄により開かれた天台宗の総本山です。平安以降、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など多くの高祖達を輩出し、今なお修行道場として厳粛な雰囲気に満ちています。広大な境内に、根本中堂(国宝)、大講堂、釈迦堂(共に重文)、横川中堂などの大伽藍があります。
874年、聖宝(しょうぼう)によって開創、907年には御願寺となり、その重要性が増すに従い下伽藍(下醍醐)が形成されました。京都府内最古の木造建築物である五重塔(国宝)や太閤秀吉が自ら縄張りをした三宝院庭園(特別史跡、特別名勝)など、数多くの文化財が残されています。
9世紀末に宇多天皇が勅願寺として仁和4年(888年)に創建した門跡寺院です。法親王の住む僧房として「御室御所」と呼ばれ、徳川家光が建立した二王門(重文)は京の三大門の一つです。金堂(国宝)、五重塔(重文)があり、御殿は本坊、宸殿、黒書院、白書院からなる御所風建築で平安王朝文化の薫りが漂っています。
1052年に、関白藤原頼通が父道長の別荘を寺院に改めたものです。鳳凰堂(国宝)の優美な姿は平安貴族たちが夢にまで見た極楽浄土を偲ばせます。庭園(史跡名勝)は平安時代の遺構で、鳳凰堂と阿字池を中心に、宇治川の清流、前面の山々を取り入れた雄大な貴族好みの借景庭園です。
もとは下社の宇治神社と一体で、平等院の鎮守社として社殿が整えられました。神社建築では日本最古という本殿(国宝)は一間社流造りの三殿からなります。拝殿(国宝)は宇治離宮の遺構といわれる寝殿造り風の住宅建築となっています。
13世紀はじめに明恵上人が再興した山寺で、当時の住房「石水院」(国宝)が現存しています。栄西禅師が中国から持ち帰った茶の種を明恵上人が植えたという日本最古の茶園が残り、こけら葺きの簡素なたたずまいは、鎌倉期の寝殿造りを偲ばせます。「鳥獣人物戯画」など古文化財も多数所蔵されています。
奈良時代、行基の開祖と伝えられる古刹で、1339年に夢窓国師が復興した禅宗寺院です。120余種の苔が境内を覆い、緑の絨毯を敷き詰めたような美しさから苔寺と呼ばれています。庭園(特別名勝)は、下部の林泉庭園と上部の枯山水庭園からなり、後の日本庭園に大きな影響を与えてきました。
※一般の拝観は1977年以降中止しています。読経や写経などの宗教行事に参加することが条件で、往復はがきによる事前申し込み制となっています。
後嵯峨上皇の亀山離宮があったところに、1339年に足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるため、夢窓国師を開山として創建した禅宗寺院で、京都五山の第一位です。方丈裏の池泉回遊式の曹源池庭園(史跡、特別名勝)は往時の面影を今に伝え、嵐山、亀山を借景とし、貴族文化の伝統と禅文化が巧みに溶け合い、四季折々の美しさを見せます。
足利義満が1397年に西園寺家の山荘を譲り受け別荘として築き、義満の死後 寺院としたものです。正式には鹿苑寺といい、北山文化の象徴として国内外に知られる名刹です。金閣は舎利殿として建てられ、金箔の楼閣が鏡湖池に映え、1987年の大修理で一層の輝きを増しました。
足利義政が1482年に築いた山荘を寺院にしたものです。正式には慈照寺といい、東山文化を代表する名刹です。銀閣(国宝)は観音殿として質素高貴な意匠で、東求堂(国宝)は初期書院造りの遺構です。庭園(特別名勝)の白砂を段形に盛り上げた銀沙灘・向月台は、月の光を反射して銀閣を照らすといわれています。
細川勝元が1450年に徳大寺家の別荘を譲り受けて建立した禅宗寺院です。方丈南側の枯山水庭園(史跡及び特別名勝)「石庭」は虎の子渡しとして名高く、長方形の白砂の庭に15個の石組みが5群に配置され点在しています。作者は不明で、作意にも諸説ありますが、象徴的な表現で自然を映し出した名園です。
1591年に京都の現在地に移転された浄土真宗本願寺派の本山で、特別名勝庭園があります。境内の御影堂、阿弥陀堂(共に重文)の威容には圧倒されます。伏見城の遺構といわれる唐門は、その豪華な装飾を一日中見ていても飽きないことから「日暮門」と呼ばれ、華麗な桃山文化の粋を今に伝えています。
1603年に、徳川家康が宿泊所として造営した城です。武家風書院造りの二の丸御殿(国宝)は、絢爛豪華な障壁画で飾られ、1867年の大政奉還はここで行われました。18世紀の大火で焼失した本丸御殿跡には、京都御苑内の旧桂宮御殿を移築した現本丸御殿(重文)があり、元離宮としての威厳を保っています。